0歳:東京都江東区木場で産まれる
3歳:千葉県浦安市に引っ越し。「ひまわり絵画教室」に通う
6歳:小学校入学。母親がピンク色が好きだったため当時では全校生徒でただ一人ピンクのランドセルで目立つ
8歳:交通事故で足を骨折して3ヶ月入院。掛け算九九を覚えないと留年と言われ病室で必死で覚える
11歳:音楽の授業で絶望的に音痴なのを自覚する
12歳:中学校入学
朝具合が悪く、担任の先生に登校拒否なのでは?と問われ大学病院で検査をして「起立性低血圧」という病名がつく
偏食が激しく、給食の時間が苦痛で早退や遅刻多めになる
持ち物検査、制服検査が多く苦痛。制服と給食のない高校に行こうと決意する
16歳:春:定時制 中央大学高等学校へ入学。
16歳:秋:セツモードセミナーへ入学
昼間はセツ・モードセミナー、夜は高校へ通う
18歳:セツモードセミナー卒業
私のセツ物語
美大を目指す決意をして「御茶ノ水美術学校」の春期講習へ入学するも、セツで培ったことと美大受験のための勉強が違いすぎて孤立する
「すいどーばた美術学園」夏期講習から入学(デザインコース)。
定時制高校は4年生だったため昼間の予備校は浪人生クラス、夜は高校。
夜中は予備校の課題となかなかハードな日々
美大受験全滅。
19歳:創形美術学校グラフィックデザイン科 へ入学。
片道2時間、国立(くにたち)まで通う。
講師だったタナカノリユキ氏に師事。作品集を作るお手伝いで三軒茶屋の事務所へ入り浸る。
週末・年末は浦安の屋形船のコンパニオンや、メイク学校の実習モデルなどして画材のための日銭を稼ぐ。
21歳:創形美術学校卒業。
卒業後、現代アーティストになるためにはどうすればいいのか考えていたら就職の話が来たので都内の制作会社へ就職する。
ギャラリー受付及び運営、営業政策アシスタント等
24歳:退社
フリーランスとしてDTP及び簡単なデザインや地図を作ったりイラストを描く仕事を始める
20代:結婚。世田谷区へ引っ越し。浦安を離れる。
出版社で編集アシスタント、社内制作物制のバイト
絵の仕事も平行してやる
30代:神奈川県川崎市へ引っ越し
要望に答える仕事ばかりしていたため、オリジナルの絵が描けないことに気がつく
表現とは?心と身体とのバランスに関係してくるのでは?と考える
<ヨガをやる>
<中医学に興味を持つ>
<スリランカダンスやバリ舞踊に手を出す>
<食生活の見直し>
という心と身体のリハビリを重ねる。
40代:MJイラストレーションズに入塾。峰岸達氏に師事。イラストレーションを学び直す
同じ志の仲間に出会い、お互いの絵の悩みなどを共有できるようになる
企画展に参加したりしながらコンペにも通るようになる
個展、企画展など多数
書籍、アパレルコラボ、LINEスタンプ、コラム挿絵、パッケージなど
仕事の幅が広がる
最近:個展で描いた絵をきっかけに犬のイベントを企画
ドックカフェで絵を描いたり、オーダーを受けるようになる